内田正人氏の出身校は日大豊山 日大一筋の人生とは

5月23日日大アメフト部元監督の内田正人氏と同コーチの井上奨氏が緊急記者会見を行った。概要は以下の引用の通りだ。

会見の冒頭に関西学院大との定期戦(6日、東京)で悪質タックルで負傷させた相手のQBと両親、アメフット部に改めて謝罪。そのうえで22日に一人で東京都内で記者会見して詳細を語った日大選手に対して「あのような気持ちにさせてしまい申し訳なく思う。反省しています」と謝罪した。井上コーチも「私の未熟な人間性で起こったこと」と頭を下げた。

 しかし、質疑応答に入ると、これまでの見解を踏襲した。井上コーチは日大選手に「1プレー目で相手のQBをつぶせ」と指示したことは認めたが、その意図は「闘争心を持たせたかった」「いつもと違うプレーをしてほしかった」と説明。「負傷させることが目的ではなかった」との見解を繰り返した。高校時代から教えた日大選手が反則に至った理由について「とんでもない重圧を受けて目の前が見えなくなったのかな」と説明した。

 内田前監督は悪質なタックルを試合当日は「見ていない」と説明した。日大選手のポジションを担当していた井上コーチは見ていたが、プレーを中断させなかった理由については「判断ミス」と反省を口にして「選手にプレーを続けさせたかった」と説明した。

引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180523-00000115-mai-spo

この二人、この期に及んで肝心の危険プレーについての指示が指導者側からあったかどうかの質疑には今だにシラを切る態度を見せ、指導者として当該の学生を守る、かばうつもりは一切ないことを世間に知らしめることとなった。

また、内田正人氏にいたっては危険タックルを見てすらいないと言及。この大人たちの闇の深さをのぞかせた。初動の会見のまずさに加えて、今回の緊急記者会見でも再び政治的なずる賢さをみせた形となった。

また、内田氏に対する日大の処分は、現職の常務理事の職を辞任とはせず、あくまでも謹慎とし、時間がたてば何食わぬ顔で職場復帰、現場復帰させるつもりが丸見えの往生際の悪い処分となったことも明らかになった。

己の指導生徒が丸腰で会見し、非を認め謝罪したのに対し、この内田という男はあくまでもこの件、シラを切りとおす腹を決めたようだ。アメフト部の監督の任をとかれても、上級管理職として籍を残すことで、「方面部長」や「名誉テクニカルディレクター」などといった肩書を新たに用意することで、ほとぼりが冷めたころに現場復帰することは組織をもってすればさほど難しいことではないはずだ。

内田正人氏は一生涯日大、まさに日大ブランドに身を包んだようなひと

本件はおそらく出る所にでないと膿を出し切ることは難しい様子を呈してきた。それほどに日大経営陣の闇は深すぎる。この闇の深さは内田正人氏のキャリアに起因する。内田氏は高校も日大系列の日大豊山高校で、内部進学から日大を卒業ご日大の職員を経て現職にいたる、純然たる「日大ブランドに身を包んだ男」である。

アメフト部には1978年から携わっている。今回の事件で、日大アメフト部は内田氏の私物化されたクラブという印象を強く世間に抱かせた。40年間もの長きにわたり携わってきたのだから、アメフト部を簡単に離れられない事情は推して察する。氏の心中は「この程度のことで」と考えているかもしれない。しかし時代が変わったのだ。

90年代も、00年代も問題なかったことが、今2010年代はアウトなのだ。それほどもまでにテクノロジーの進化はすさまじい。40年間日大の幕の内側で過ごしてきた老人には理解できないのかもしれない。

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